2011年11月23日水曜日

八百万の神(やおよろずのかみ)の集結

八百万の神というのは、自然崇拝の神道の概念である。

日本には800万という数の神々が住んでいるのだろうか。
ただ数を表すだけの、八百万という言葉だろうか。

それを読み解くには、まず日本人の古来の数の捉え方を考える必要があるだろう。

日本人にとって八という数には「多く」という意味があった。

大きな木があれば、そこに神が宿り、そこに山があれば、そこにも神が宿り・・
清い水の流れがあればそこにも神が宿り・・・すべての事物、物に神が宿るという。

神々を敬い、物事を敬い、感謝する心、それが日本人の精神の美しさの一つだと、私は感じています。

八百万というのは、非常に沢山(無限に近いと解釈してもよいほど)の神が居るという意味にもとれる、ということであり、日本人の精神性を表していると言っても過言ではないだろうと思う。


自然崇拝、祖先を祀る、そうして日本は古来より栄え、ともに支えあってきた。

私は、特にこのブログの中で、いま宗教的な話がしたいのではなく、そもそも日本人にとって、暮らしや共同体、心の中枢となってきたものは何だったか?という話がしたいのである。


さて、それは何なのだろうか?・・・皆様も一緒に考えてほしい。

日本の中枢にあったもの。中心にあったもの。日本という命の真ん中にあったもの・・・

それは、一言で言うと「集落、農村、宿場町・・・」といった、地域の人々の生き生きした姿ではなかっただろうか、ということである。

家族や、地域のコミュニティを大切にしてきたのが、日本人の生活の全てだったのだと思うのである。

日本の「今」はどうだろう。


大型店舗が、はげしい勢いで、自分の勢力範囲をひろげ席巻し。
人々は集落を離れ、若者は都市に集中する。

地方都市でさえ、古き良き商店街が消滅の危機にさらされている。


お年寄りが半数を占め、やがては消滅すると言われる限界集落はゆうに2000を超え。
その前段階の準限界集落の数も含めると・・・・その数は膨大になる。

子供たちを都市部へと見送ったご両親も年を重ね、寂しさを堪えきれずに生きている。
ただ、子供が孫たちを連れて、お盆などに帰省してくれるのを楽しみにしながら・・・


かつて高度成長期には、豊かな暮らしは幸せの象徴であった。
それは人々の夢と希望であった。

それは日本という国に活気をもたらし、人々の気持ちを一つにしていた。
あのころは良かったと思う人々は、多いのではないだろうか。

 貧しい中にも、両隣三軒で米や味噌、醤油を分かち合い、助け合っていた時代。
人情があたりまえのようにあった時代。

そして現在。日本は物に溢れ、豊かになった。

その進む先にある暮らしの便利さは、イコールとして豊かさである。
しかし「完全な豊かさ」とイコールだろうか。

それは本当に人々の幸せ、日本の幸せであろうか。
心の豊かさも含めた、真の豊かさだろうか・・・


みなさんは、どのように感じて「今」を生きているのだろう。


競争社会に疲れ、欲の連鎖に苦しみ、心を磨り減らせ・・・・
生きていく先に不安を抱き。

生まれてきたことに、疑問を感じている方も少なくないのではないだろうか。


今こそ、日本は立ち上がるべきではないだろうか。
小さな力を合わせ、日本を立て直す時が訪れているように、感じずにいられないのである。


私はピースシーカーの概念、理念として、限界集落や日本の伝統技法、文化を守る活動を行うつもりでいる。

来年の頭に向けて、一つの商店のような位置づけで、まずは起業しホームページを作成するところから始めようと思う。

例えば、日本の農業に携わりつつも後継者不足で困っている方々、農家として、長男のお嫁さんを求めているが、その地域に若者が居ないなどの理由で出会いのない方。

そういった農家さんの婚活を応援したり、伝統的な手作りの製品を世の中に広く売り出すお手伝いをしたり。
伝統技法などの地域の特産物の分野で、後継者不足で困っている方々に、その意思を受け継ぎたいと願う若者を紹介したり。


今までスポットの当たらなかった人々、地域にスポットライトを当てていく、交流がなかったところに、縁をつないでいく。

人材の、流動を生み出したいのである。

例えば、全国あるいは近隣の書道、絵画やアート、音楽の技を持つ若者たちが、自分を表現できる「場」として、それが限界集落の「お祭り」、「行事」、「イベント」と結びつくこと、そして新たな力を得て活性化していくこと。

それは不可能なのだろうか?

もしも自治体として、地域を盛り上げてくれるなら、と賛同いただけるのであれば、それは可能とはならないだろうか?

それが、永続的なイベントとして、人の流れとして、地域の宣伝効果も期待できるのなら・・・・

世の中のマスメディアは注目するのではないだろうか?


いや、注目していただけるようにも働きかけていくのである。
その努力はしなければならない。

掲げるものは・・・

日本の全土の地域の活性化、様々な地場産業の底上げと復活。
全土での地産地消の推進。

それが1市民から始まって、広がっていくのである。

地域の人々が手を取り助け合い、他府県からのボランティア、あるいは人材によって、息を吹き返す。

そのような地道な活動を、広げていきたいのである。


私の体が1000個あれば、それは全国同時に進めていけるだろう。
しかし、私の体は1つであり、それは叶わない。


だから私は1000人の仲間を集いたい。

そして、この日本を支えてきた、八百万の全ての神々に、この活動を、日本の集落と人を救う力になってもらいたい。

日本の復興の為なら、八百万の神は喜んで力を貸してくださるのではないかと私は思う。


最初は一人から始まり、少ないながらも徐々に仲間は増えていき・・・

やがてそれは八百万の仲間となっていく。


私は日本の精神に、一縷の希望を見出すのである。

一縷(いちる)とは、1本の糸。また、そのように細いもの。という意味がある。


たとえ細い1本の糸のようであっても、それが束ねられれば、日本を牽引する巨大な綱となりえることを、私は信じたい。


仲間となれる人は、集まっていただきたい。
何をどう取り組めばいいか、どう形にすればいいか分からないときは、顔を合わせてミーティングを開くことから始めようと思う。


日本を良くしたい、住み慣れた土地を良くしたい、故郷を守りたい。
そう思う気持ちがあれば、私たちは仲間となれる。

連絡をいただきたい。まずは縁として人と人がつながらなければならない。


どんなことでもいい、力を貸していただきたい。共に取り組んでいただきたい。

学生さん、主婦の方々、会社員の方々、どんな方でもピースシーカーという共同体の理念に共感いただければ、どなたでも、まずは意識のレベルでの参加ができます。

何かの取り組みに、強制することはありません。

私はまず、意識を共有したいと思っており、それがとても大切だと感じているからです。


どうかお気軽にご参加、ご相談ください。

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