みなさまへ
無農薬のお米から、日本の活性化の第一歩を踏み出そう!
ということで、事業化に向けて、着々と日々精進しております。
こんど、名古屋のネットショップ運営、屋号「むすびちゃん」の実働メンバーと5人で30日にミーティングがあります。
来年から、事業者申請をしたり、内部の作業フローを実際に動かしたり。さまざまな困難と向き合いながら、議論も白熱させつつ。
熱と思いを乗せて、エンジンが始動しはじめます。
純粋な心を持った人が集まった結晶のようなチームです。
世の中に、たくさんの純粋なもの、良いものがあります。それを結んでいく。その始まりです。
みなさんには、意識の部分で、まず希望を持っていただくこと。
次世代に憂いを残さず、私たちにできることを、実生活の中に見つめていきましょう。
一人ひとりは出来ることが違います。役割も。生活も。
だからこそ。
希望を持ちましょう。
いま、みなさんが支えている生活。
未来に明るい希望を持てるように、心を明るくして、笑顔を大切に守っていきましょう。
輝いていきましょう。
心からの笑顔に、勝るものはありません。
それを大切にしようと思う気持ちが、ピースシーカーです。
ピースシーカーは、団体にもNPOにもならないと思います。
広い空や海のようなもの。この大地のような器。
合言葉のようなものです。
みな、出来ることが違い、関わり方が違う人たちが、希望を持ち合う場所。
それがピースシーカーです。
心を共有しましょう。
みなさんを結ぶもの、その合言葉。
みなさんの希望全員分で、ピースシーカーです。
まずは実働部隊として、形を作っていきます。
健康に寄与でき、美しい自然を守る農法を助けていきます。
そこから何が始まるか・・・どのようになっていくか・・・未知であり、期待も膨らみます。
必ず良い方向へ、物事が集合するようにしていこうと思っています。
がんばります。
みなさん応援してくださいね!
2011年12月24日土曜日
2011年12月18日日曜日
ピースシーカー発足から1ヶ月半
これまでの間いろんな事があった。
発足して1週間の間はいったい何をすればいいのか、本当に活動が始まるのか・・
活動の資金捻出はどうするんだ?
などなど、不安な事が多かった。
先の見えない不安だった。
まずは何を活動すべきか、どんな風に仲間が集まるのかも何も分からない状態だった。
活動の最初は縁のある人々と会うことだった。
初期は2人から始まった。トランブレーみゆきさんと二人で話し合って、何とか日本を良くしよう、と活動を始めることにした。10月24日に、まずは名刺を作った。それが活動の始まりだった。
縁のある方々と会っていこう。
それで10月後半に大阪と京都で一人ずつ。みゆきさんの紹介で会っていった。一人目はニューヨークに10年程在住して、大阪に帰ってきた方で、向こうでも、こっちでも全国の小学校の子供たちに絵を描いてもらい、それを海外の小学校や日本の小学校の子供達と絵を交換して学校で展示し合う。海外や日本全国の子供達にも絵を描いてもらって、それを交換展示し合うわけだ。
それによって、子供達が交流っできる。言葉を通り越したコミュニケーションによって、友好が深まる。
お互いに理解し合うことで偏見や恐れが和らぎ、お互いに国際的、全国的に興味を持ち合う。
そうすることによって、争いが無くなる未来を築こう、よりグローバルな交流を持ち合うことで、未来を拓こう。
子供達から始めようという。
本当に素晴らしい活動なのである。
彼の国際的な経験を活かして、お互いに協力しあう約束を交わした。
彼はWEBのプログラマーでもあり、アーティストでもある。
ピースシーカーでサイトを作る際には彼に依頼しようということになった。
二人目に会った京都の方は、京都市役所で地域活性化に関わる部署に務めながら、個人で地域活性化のNPO団体を立ち上げ、活動しているようだった。
市民同士が話し合い、京都の街をより良いものにしていこうというものだった。本当に素晴らしい人であり活動だと感じた。
この方にも、ピースシーカーの先々の活動で関わることがあれば、全面的に協力をいただけることになった。
11月の最初には、愛知県名古屋の街に赴き、そこでもみゆきさんのご縁のある方々と、次々に会っていった。
この時、まだ何から始めるか、全然決まっていない状態だった。
農業関係の仕事に就いている方々と多く出会い、日本の現状や問題点について濃密に討論した。
やはり、日本の未来を良くしていくためには、そしてその為に現在の日本を良くする為には、農業に関わる人々を活性化することが必要なのではないか?という思いが強くなっていった。
そしてその数日後、私は石川県羽咋市(はくいし)へ飛んだ。
そこでは自然栽培米を作る農家さんとJA、市役所と地域が一体となって、将来の地球の為にそして農家さんが生き残る為に先進的な農業を生み出そう、そしてそれを世界に広げようという活動を活発に行っていた。
無農薬栽培をJAが認め、共に取り組む。
それは日本では初めての試みだった。
最後までトキが生きていたこの土地は、その自然と棚田や生物、農村、そこで生活する人々すべてを含めて、広域の地域が世界文化遺産に日本で初めて登録された所で、世界でも6番目に登録されたのだそうだ。
TPPに負けない農業を作ろう、世界に無農薬、無肥料で行う永続的に農業を可能とする自然栽培、それは地球環境にも貢献することだった。美しい自然を残そう、未来の子供達に残そうという想いのもと、素晴らしい農法を発信しようという活動を行っておられた。
世界で初めて無農薬のりんご栽培を実現した奇跡のりんごで有名な木村氏を講師に招き、熱心に勉強会を開いておられた。
私は飛び入りでその勉強会に参加させていただき、翌日の農業フェスタではボランティアスタッフとしてイベントをお手伝いした。
私はその2日間で羽咋市JA本部の職員の方々と名刺交換をし、農林水産課の市の職員の方々、そして自然栽培を行う農家の方々と広く名刺交換をした。
木村氏とも面識を持つことができ、直接にメール交換をしていただける約束もした。というより、木村氏から個人的に私に、「メール送ってよ」と満面の笑みで言っていただいたのだ。光栄なことだった。
そしてJAでの自然栽培普及に一番熱心に取り組んで活動を推進されている課長さんと語り合うことができ、仲間として認めていただいた。
その事によって、羽咋市JAさんの情報やご協力をいただけることになった。
地域の農家さんとも交流を深めることができ、農業を活性化するという活動にご協力をいただけるようになった。
最初は分からなかった活動が、徐々に形を成していき、方向性が定まってくるきっかけを、11月の第一週で掴み始めたのだった。
長くなったので、この続きはまた次回に書く事にしよう。
まだまだ活動は始まったばかりだが、良いご縁に恵まれていることだけは確信できるようになってきている。
感謝を忘れないでいようと思う。
発足して1週間の間はいったい何をすればいいのか、本当に活動が始まるのか・・
活動の資金捻出はどうするんだ?
などなど、不安な事が多かった。
先の見えない不安だった。
まずは何を活動すべきか、どんな風に仲間が集まるのかも何も分からない状態だった。
活動の最初は縁のある人々と会うことだった。
初期は2人から始まった。トランブレーみゆきさんと二人で話し合って、何とか日本を良くしよう、と活動を始めることにした。10月24日に、まずは名刺を作った。それが活動の始まりだった。
縁のある方々と会っていこう。
それで10月後半に大阪と京都で一人ずつ。みゆきさんの紹介で会っていった。一人目はニューヨークに10年程在住して、大阪に帰ってきた方で、向こうでも、こっちでも全国の小学校の子供たちに絵を描いてもらい、それを海外の小学校や日本の小学校の子供達と絵を交換して学校で展示し合う。海外や日本全国の子供達にも絵を描いてもらって、それを交換展示し合うわけだ。
それによって、子供達が交流っできる。言葉を通り越したコミュニケーションによって、友好が深まる。
お互いに理解し合うことで偏見や恐れが和らぎ、お互いに国際的、全国的に興味を持ち合う。
そうすることによって、争いが無くなる未来を築こう、よりグローバルな交流を持ち合うことで、未来を拓こう。
子供達から始めようという。
本当に素晴らしい活動なのである。
彼の国際的な経験を活かして、お互いに協力しあう約束を交わした。
彼はWEBのプログラマーでもあり、アーティストでもある。
ピースシーカーでサイトを作る際には彼に依頼しようということになった。
二人目に会った京都の方は、京都市役所で地域活性化に関わる部署に務めながら、個人で地域活性化のNPO団体を立ち上げ、活動しているようだった。
市民同士が話し合い、京都の街をより良いものにしていこうというものだった。本当に素晴らしい人であり活動だと感じた。
この方にも、ピースシーカーの先々の活動で関わることがあれば、全面的に協力をいただけることになった。
11月の最初には、愛知県名古屋の街に赴き、そこでもみゆきさんのご縁のある方々と、次々に会っていった。
この時、まだ何から始めるか、全然決まっていない状態だった。
農業関係の仕事に就いている方々と多く出会い、日本の現状や問題点について濃密に討論した。
やはり、日本の未来を良くしていくためには、そしてその為に現在の日本を良くする為には、農業に関わる人々を活性化することが必要なのではないか?という思いが強くなっていった。
そしてその数日後、私は石川県羽咋市(はくいし)へ飛んだ。
そこでは自然栽培米を作る農家さんとJA、市役所と地域が一体となって、将来の地球の為にそして農家さんが生き残る為に先進的な農業を生み出そう、そしてそれを世界に広げようという活動を活発に行っていた。
無農薬栽培をJAが認め、共に取り組む。
それは日本では初めての試みだった。
最後までトキが生きていたこの土地は、その自然と棚田や生物、農村、そこで生活する人々すべてを含めて、広域の地域が世界文化遺産に日本で初めて登録された所で、世界でも6番目に登録されたのだそうだ。
TPPに負けない農業を作ろう、世界に無農薬、無肥料で行う永続的に農業を可能とする自然栽培、それは地球環境にも貢献することだった。美しい自然を残そう、未来の子供達に残そうという想いのもと、素晴らしい農法を発信しようという活動を行っておられた。
世界で初めて無農薬のりんご栽培を実現した奇跡のりんごで有名な木村氏を講師に招き、熱心に勉強会を開いておられた。
私は飛び入りでその勉強会に参加させていただき、翌日の農業フェスタではボランティアスタッフとしてイベントをお手伝いした。
私はその2日間で羽咋市JA本部の職員の方々と名刺交換をし、農林水産課の市の職員の方々、そして自然栽培を行う農家の方々と広く名刺交換をした。
木村氏とも面識を持つことができ、直接にメール交換をしていただける約束もした。というより、木村氏から個人的に私に、「メール送ってよ」と満面の笑みで言っていただいたのだ。光栄なことだった。
そしてJAでの自然栽培普及に一番熱心に取り組んで活動を推進されている課長さんと語り合うことができ、仲間として認めていただいた。
その事によって、羽咋市JAさんの情報やご協力をいただけることになった。
地域の農家さんとも交流を深めることができ、農業を活性化するという活動にご協力をいただけるようになった。
最初は分からなかった活動が、徐々に形を成していき、方向性が定まってくるきっかけを、11月の第一週で掴み始めたのだった。
長くなったので、この続きはまた次回に書く事にしよう。
まだまだ活動は始まったばかりだが、良いご縁に恵まれていることだけは確信できるようになってきている。
感謝を忘れないでいようと思う。
2011年12月15日木曜日
起業の準備 ネット機器の環境を整備
起業化して、まずは無農薬のお米の販売に取り掛かることになりそうです。
体に良い、本当に安全に食べることのできるもの。アトピーや化学物質過敏症などに苦しむ人々が助かるように。
流通の少ない無農薬米をサイトを通して流通していこうと考えています。
まず、一つの事から実働すること。
それだけでも大変な作業となると思います。
お米農家さんと会いに行き、ネット販売のサイトも作り上げ、人脈を広げ、様々な場所へ営業活動に行く。
移動先でもネット環境が整っているように、と、携帯をiphone4sに換え、持ち運び式のパソコンのモデムのようなルーターというものを使うようにして、Wi‐Fi 3G回線が全国どこでも繋がるようにしました。
お米のネット販売についても、実働できるメンバーが次々と集まりだしてきて・・・現在は5人のチームとなりました。
本当に良いものを、求める人の元へ。
いきなり大きなことはできませんが、まずは出来ることから地道に頑張っていこうと思っています。
自然栽培米の販売先に困っている農家の方が居られましたら、ご一報ください。
年明けから、販売に向けて動いていくと思います。
日本の農業に活力が戻るように、小さなことからコツコツと頑張っていきます。
体に良い、本当に安全に食べることのできるもの。アトピーや化学物質過敏症などに苦しむ人々が助かるように。
流通の少ない無農薬米をサイトを通して流通していこうと考えています。
まず、一つの事から実働すること。
それだけでも大変な作業となると思います。
お米農家さんと会いに行き、ネット販売のサイトも作り上げ、人脈を広げ、様々な場所へ営業活動に行く。
移動先でもネット環境が整っているように、と、携帯をiphone4sに換え、持ち運び式のパソコンのモデムのようなルーターというものを使うようにして、Wi‐Fi 3G回線が全国どこでも繋がるようにしました。
お米のネット販売についても、実働できるメンバーが次々と集まりだしてきて・・・現在は5人のチームとなりました。
本当に良いものを、求める人の元へ。
いきなり大きなことはできませんが、まずは出来ることから地道に頑張っていこうと思っています。
自然栽培米の販売先に困っている農家の方が居られましたら、ご一報ください。
年明けから、販売に向けて動いていくと思います。
日本の農業に活力が戻るように、小さなことからコツコツと頑張っていきます。
2011年11月23日水曜日
八百万の神(やおよろずのかみ)の集結
八百万の神というのは、自然崇拝の神道の概念である。
日本には800万という数の神々が住んでいるのだろうか。
ただ数を表すだけの、八百万という言葉だろうか。
それを読み解くには、まず日本人の古来の数の捉え方を考える必要があるだろう。
日本人にとって八という数には「多く」という意味があった。
大きな木があれば、そこに神が宿り、そこに山があれば、そこにも神が宿り・・
清い水の流れがあればそこにも神が宿り・・・すべての事物、物に神が宿るという。
神々を敬い、物事を敬い、感謝する心、それが日本人の精神の美しさの一つだと、私は感じています。
八百万というのは、非常に沢山(無限に近いと解釈してもよいほど)の神が居るという意味にもとれる、ということであり、日本人の精神性を表していると言っても過言ではないだろうと思う。
自然崇拝、祖先を祀る、そうして日本は古来より栄え、ともに支えあってきた。
私は、特にこのブログの中で、いま宗教的な話がしたいのではなく、そもそも日本人にとって、暮らしや共同体、心の中枢となってきたものは何だったか?という話がしたいのである。
さて、それは何なのだろうか?・・・皆様も一緒に考えてほしい。
日本の中枢にあったもの。中心にあったもの。日本という命の真ん中にあったもの・・・
それは、一言で言うと「集落、農村、宿場町・・・」といった、地域の人々の生き生きした姿ではなかっただろうか、ということである。
家族や、地域のコミュニティを大切にしてきたのが、日本人の生活の全てだったのだと思うのである。
日本の「今」はどうだろう。
大型店舗が、はげしい勢いで、自分の勢力範囲をひろげ席巻し。
人々は集落を離れ、若者は都市に集中する。
地方都市でさえ、古き良き商店街が消滅の危機にさらされている。
お年寄りが半数を占め、やがては消滅すると言われる限界集落はゆうに2000を超え。
その前段階の準限界集落の数も含めると・・・・その数は膨大になる。
子供たちを都市部へと見送ったご両親も年を重ね、寂しさを堪えきれずに生きている。
ただ、子供が孫たちを連れて、お盆などに帰省してくれるのを楽しみにしながら・・・
かつて高度成長期には、豊かな暮らしは幸せの象徴であった。
それは人々の夢と希望であった。
それは日本という国に活気をもたらし、人々の気持ちを一つにしていた。
あのころは良かったと思う人々は、多いのではないだろうか。
貧しい中にも、両隣三軒で米や味噌、醤油を分かち合い、助け合っていた時代。
人情があたりまえのようにあった時代。
そして現在。日本は物に溢れ、豊かになった。
その進む先にある暮らしの便利さは、イコールとして豊かさである。
しかし「完全な豊かさ」とイコールだろうか。
それは本当に人々の幸せ、日本の幸せであろうか。
心の豊かさも含めた、真の豊かさだろうか・・・
みなさんは、どのように感じて「今」を生きているのだろう。
競争社会に疲れ、欲の連鎖に苦しみ、心を磨り減らせ・・・・
生きていく先に不安を抱き。
生まれてきたことに、疑問を感じている方も少なくないのではないだろうか。
今こそ、日本は立ち上がるべきではないだろうか。
小さな力を合わせ、日本を立て直す時が訪れているように、感じずにいられないのである。
私はピースシーカーの概念、理念として、限界集落や日本の伝統技法、文化を守る活動を行うつもりでいる。
来年の頭に向けて、一つの商店のような位置づけで、まずは起業しホームページを作成するところから始めようと思う。
例えば、日本の農業に携わりつつも後継者不足で困っている方々、農家として、長男のお嫁さんを求めているが、その地域に若者が居ないなどの理由で出会いのない方。
そういった農家さんの婚活を応援したり、伝統的な手作りの製品を世の中に広く売り出すお手伝いをしたり。
伝統技法などの地域の特産物の分野で、後継者不足で困っている方々に、その意思を受け継ぎたいと願う若者を紹介したり。
今までスポットの当たらなかった人々、地域にスポットライトを当てていく、交流がなかったところに、縁をつないでいく。
人材の、流動を生み出したいのである。
例えば、全国あるいは近隣の書道、絵画やアート、音楽の技を持つ若者たちが、自分を表現できる「場」として、それが限界集落の「お祭り」、「行事」、「イベント」と結びつくこと、そして新たな力を得て活性化していくこと。
それは不可能なのだろうか?
もしも自治体として、地域を盛り上げてくれるなら、と賛同いただけるのであれば、それは可能とはならないだろうか?
それが、永続的なイベントとして、人の流れとして、地域の宣伝効果も期待できるのなら・・・・
世の中のマスメディアは注目するのではないだろうか?
いや、注目していただけるようにも働きかけていくのである。
その努力はしなければならない。
掲げるものは・・・
日本の全土の地域の活性化、様々な地場産業の底上げと復活。
全土での地産地消の推進。
それが1市民から始まって、広がっていくのである。
地域の人々が手を取り助け合い、他府県からのボランティア、あるいは人材によって、息を吹き返す。
そのような地道な活動を、広げていきたいのである。
私の体が1000個あれば、それは全国同時に進めていけるだろう。
しかし、私の体は1つであり、それは叶わない。
だから私は1000人の仲間を集いたい。
そして、この日本を支えてきた、八百万の全ての神々に、この活動を、日本の集落と人を救う力になってもらいたい。
日本の復興の為なら、八百万の神は喜んで力を貸してくださるのではないかと私は思う。
最初は一人から始まり、少ないながらも徐々に仲間は増えていき・・・
やがてそれは八百万の仲間となっていく。
私は日本の精神に、一縷の希望を見出すのである。
一縷(いちる)とは、1本の糸。また、そのように細いもの。という意味がある。
たとえ細い1本の糸のようであっても、それが束ねられれば、日本を牽引する巨大な綱となりえることを、私は信じたい。
仲間となれる人は、集まっていただきたい。
何をどう取り組めばいいか、どう形にすればいいか分からないときは、顔を合わせてミーティングを開くことから始めようと思う。
日本を良くしたい、住み慣れた土地を良くしたい、故郷を守りたい。
そう思う気持ちがあれば、私たちは仲間となれる。
連絡をいただきたい。まずは縁として人と人がつながらなければならない。
どんなことでもいい、力を貸していただきたい。共に取り組んでいただきたい。
学生さん、主婦の方々、会社員の方々、どんな方でもピースシーカーという共同体の理念に共感いただければ、どなたでも、まずは意識のレベルでの参加ができます。
何かの取り組みに、強制することはありません。
私はまず、意識を共有したいと思っており、それがとても大切だと感じているからです。
どうかお気軽にご参加、ご相談ください。
日本には800万という数の神々が住んでいるのだろうか。
ただ数を表すだけの、八百万という言葉だろうか。
それを読み解くには、まず日本人の古来の数の捉え方を考える必要があるだろう。
日本人にとって八という数には「多く」という意味があった。
大きな木があれば、そこに神が宿り、そこに山があれば、そこにも神が宿り・・
清い水の流れがあればそこにも神が宿り・・・すべての事物、物に神が宿るという。
神々を敬い、物事を敬い、感謝する心、それが日本人の精神の美しさの一つだと、私は感じています。
八百万というのは、非常に沢山(無限に近いと解釈してもよいほど)の神が居るという意味にもとれる、ということであり、日本人の精神性を表していると言っても過言ではないだろうと思う。
自然崇拝、祖先を祀る、そうして日本は古来より栄え、ともに支えあってきた。
私は、特にこのブログの中で、いま宗教的な話がしたいのではなく、そもそも日本人にとって、暮らしや共同体、心の中枢となってきたものは何だったか?という話がしたいのである。
さて、それは何なのだろうか?・・・皆様も一緒に考えてほしい。
日本の中枢にあったもの。中心にあったもの。日本という命の真ん中にあったもの・・・
それは、一言で言うと「集落、農村、宿場町・・・」といった、地域の人々の生き生きした姿ではなかっただろうか、ということである。
家族や、地域のコミュニティを大切にしてきたのが、日本人の生活の全てだったのだと思うのである。
日本の「今」はどうだろう。
大型店舗が、はげしい勢いで、自分の勢力範囲をひろげ席巻し。
人々は集落を離れ、若者は都市に集中する。
地方都市でさえ、古き良き商店街が消滅の危機にさらされている。
お年寄りが半数を占め、やがては消滅すると言われる限界集落はゆうに2000を超え。
その前段階の準限界集落の数も含めると・・・・その数は膨大になる。
子供たちを都市部へと見送ったご両親も年を重ね、寂しさを堪えきれずに生きている。
ただ、子供が孫たちを連れて、お盆などに帰省してくれるのを楽しみにしながら・・・
かつて高度成長期には、豊かな暮らしは幸せの象徴であった。
それは人々の夢と希望であった。
それは日本という国に活気をもたらし、人々の気持ちを一つにしていた。
あのころは良かったと思う人々は、多いのではないだろうか。
貧しい中にも、両隣三軒で米や味噌、醤油を分かち合い、助け合っていた時代。
人情があたりまえのようにあった時代。
そして現在。日本は物に溢れ、豊かになった。
その進む先にある暮らしの便利さは、イコールとして豊かさである。
しかし「完全な豊かさ」とイコールだろうか。
それは本当に人々の幸せ、日本の幸せであろうか。
心の豊かさも含めた、真の豊かさだろうか・・・
みなさんは、どのように感じて「今」を生きているのだろう。
競争社会に疲れ、欲の連鎖に苦しみ、心を磨り減らせ・・・・
生きていく先に不安を抱き。
生まれてきたことに、疑問を感じている方も少なくないのではないだろうか。
今こそ、日本は立ち上がるべきではないだろうか。
小さな力を合わせ、日本を立て直す時が訪れているように、感じずにいられないのである。
私はピースシーカーの概念、理念として、限界集落や日本の伝統技法、文化を守る活動を行うつもりでいる。
来年の頭に向けて、一つの商店のような位置づけで、まずは起業しホームページを作成するところから始めようと思う。
例えば、日本の農業に携わりつつも後継者不足で困っている方々、農家として、長男のお嫁さんを求めているが、その地域に若者が居ないなどの理由で出会いのない方。
そういった農家さんの婚活を応援したり、伝統的な手作りの製品を世の中に広く売り出すお手伝いをしたり。
伝統技法などの地域の特産物の分野で、後継者不足で困っている方々に、その意思を受け継ぎたいと願う若者を紹介したり。
今までスポットの当たらなかった人々、地域にスポットライトを当てていく、交流がなかったところに、縁をつないでいく。
人材の、流動を生み出したいのである。
例えば、全国あるいは近隣の書道、絵画やアート、音楽の技を持つ若者たちが、自分を表現できる「場」として、それが限界集落の「お祭り」、「行事」、「イベント」と結びつくこと、そして新たな力を得て活性化していくこと。
それは不可能なのだろうか?
もしも自治体として、地域を盛り上げてくれるなら、と賛同いただけるのであれば、それは可能とはならないだろうか?
それが、永続的なイベントとして、人の流れとして、地域の宣伝効果も期待できるのなら・・・・
世の中のマスメディアは注目するのではないだろうか?
いや、注目していただけるようにも働きかけていくのである。
その努力はしなければならない。
掲げるものは・・・
日本の全土の地域の活性化、様々な地場産業の底上げと復活。
全土での地産地消の推進。
それが1市民から始まって、広がっていくのである。
地域の人々が手を取り助け合い、他府県からのボランティア、あるいは人材によって、息を吹き返す。
そのような地道な活動を、広げていきたいのである。
私の体が1000個あれば、それは全国同時に進めていけるだろう。
しかし、私の体は1つであり、それは叶わない。
だから私は1000人の仲間を集いたい。
そして、この日本を支えてきた、八百万の全ての神々に、この活動を、日本の集落と人を救う力になってもらいたい。
日本の復興の為なら、八百万の神は喜んで力を貸してくださるのではないかと私は思う。
最初は一人から始まり、少ないながらも徐々に仲間は増えていき・・・
やがてそれは八百万の仲間となっていく。
私は日本の精神に、一縷の希望を見出すのである。
一縷(いちる)とは、1本の糸。また、そのように細いもの。という意味がある。
たとえ細い1本の糸のようであっても、それが束ねられれば、日本を牽引する巨大な綱となりえることを、私は信じたい。
仲間となれる人は、集まっていただきたい。
何をどう取り組めばいいか、どう形にすればいいか分からないときは、顔を合わせてミーティングを開くことから始めようと思う。
日本を良くしたい、住み慣れた土地を良くしたい、故郷を守りたい。
そう思う気持ちがあれば、私たちは仲間となれる。
連絡をいただきたい。まずは縁として人と人がつながらなければならない。
どんなことでもいい、力を貸していただきたい。共に取り組んでいただきたい。
学生さん、主婦の方々、会社員の方々、どんな方でもピースシーカーという共同体の理念に共感いただければ、どなたでも、まずは意識のレベルでの参加ができます。
何かの取り組みに、強制することはありません。
私はまず、意識を共有したいと思っており、それがとても大切だと感じているからです。
どうかお気軽にご参加、ご相談ください。
2011年11月20日日曜日
皆様のお力を、ピースシーカーに集めてくださいませんか?
みなさまのご友人、お知り合い、知人の方々へピースシーカーを広めてください。
私は活動家でもなく、我欲を満たしたい一個人でもなく。
みなさまが取り組まれている地域の活動、地球を良くしたい、日本を良くしたいという思いを、繋げていきたいと願う、一人の人間です。
私一人の力では、できることが限られています。
みなさまの思い、お力、繋がりの力を、どうか広めてください。
お互いの思い、活動がより強く活性化し、発展していく為に、より多くの人のご縁が必要です。
日本全域、すべての人の力を。
是非ともお力をお貸しください。
私は活動家でもなく、我欲を満たしたい一個人でもなく。
みなさまが取り組まれている地域の活動、地球を良くしたい、日本を良くしたいという思いを、繋げていきたいと願う、一人の人間です。
私一人の力では、できることが限られています。
みなさまの思い、お力、繋がりの力を、どうか広めてください。
お互いの思い、活動がより強く活性化し、発展していく為に、より多くの人のご縁が必要です。
日本全域、すべての人の力を。
是非ともお力をお貸しください。
2011年11月18日金曜日
ピースシーカーコミュニティをミクシー内に作りました
ピースシーカーの活動に賛同して、興味を持たれた方や、理念に共感いただけた方は是非ご参加ください。
地域同士の繋がりを持ったり、地域のイベントの告知を行ったり、地域の活動を紹介しあうことができるようにと考えています。
日本を良くするには、まずは地域の発展、活性化が大切です。
ピースシーカーに参加したいけど、どうしたらいいの?という方も気軽に仲間に入れるようにと考えています。
よろしくおねがいします。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5847752
地域同士の繋がりを持ったり、地域のイベントの告知を行ったり、地域の活動を紹介しあうことができるようにと考えています。
日本を良くするには、まずは地域の発展、活性化が大切です。
ピースシーカーに参加したいけど、どうしたらいいの?という方も気軽に仲間に入れるようにと考えています。
よろしくおねがいします。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5847752
2011年11月14日月曜日
起業に向けて
起業、人脈、思想、理念。ビジネスに必要な骨組みのようなもの。
考えること、仲間と話し合うことは沢山ある。
今月は、そのベースとなるものについて触れる期間、勉強し、仕組みやシステムを考案する期間にしようと思う。
今は何もかも焦るより、すべてにおいて寛容で柔軟な思考回路が必要だと思う。
すべてを受け入れ、包むような包容力が、個人的には必要な気がする。
さて・・・・
仲間集めも必要であるが、その仲間にどんな役割分担があり、また協力しあえる内容があるのか。
できれば、アバウトではあるが、目をキラキラさせて、ワクワクしてしまうような。
そんな生き方、起業のありかた、お付き合いでありたいと思う。
そのうち、ビジネスとしてのラインが浮かんでくると思うので、そのときは、ぜひ皆さんの意見、お力をお貸しください。
考えること、仲間と話し合うことは沢山ある。
今月は、そのベースとなるものについて触れる期間、勉強し、仕組みやシステムを考案する期間にしようと思う。
今は何もかも焦るより、すべてにおいて寛容で柔軟な思考回路が必要だと思う。
すべてを受け入れ、包むような包容力が、個人的には必要な気がする。
さて・・・・
仲間集めも必要であるが、その仲間にどんな役割分担があり、また協力しあえる内容があるのか。
できれば、アバウトではあるが、目をキラキラさせて、ワクワクしてしまうような。
そんな生き方、起業のありかた、お付き合いでありたいと思う。
そのうち、ビジネスとしてのラインが浮かんでくると思うので、そのときは、ぜひ皆さんの意見、お力をお貸しください。
2011年11月12日土曜日
人の交流 施設、商店への誘客による 地域の活性化運動
ピースシーカーでは次のような店舗、地域の活性化に向けた運動と活動も行う予定です。
各取り組みに共通した内容として、継続したプロモーション、支援を継続し続けるという特徴があります。
主な趣旨としては、地産地消を促進し人との縁をつなぐことによる経済と地域の発展です。
■地域の温泉街、商店街、施設などの継続した誘客支援
■個人店舗の商業的活性化、集客、流通の基盤づくりにおける継続的な支援
■PTAや各NPO団体等の活動の人的交流、それぞれの運動の協力体制、横のつながりの確立
■農業の流通支援(有機農法、自然栽培など)一般的に流通しにくい作物の流通の支援
■アレルギーに苦しむ子供たちの為に、アレルギー源の少ない無農薬で安全な野菜の提供支援
■休耕田、放置された田畑を活用する為のご相談
例えば、農園、農場などに一般の方々にピクニックできる場所を提供して、農園の作物を利用したバーベキューを開催するなど、農園の認知度向上などのアピールを行いたい、という場合、そのPRの支援を行います。
地域の宿泊施設と連動した イベント、ツアーを組むことにより、その地域への人的流動を生み出し、活性化を図ります。
これらの活動も、雛形や決まった方法、形があるわけではなく、ひとつひとつの案件を活性化の依頼主と共に、その活動の始まりから一緒に考え、活性化の枠組みや方向性を作り上げていく。
そういった、活動へ親身に1から共に取り組むというパートナーシップを生み出すという点が、一番の特徴であると思います。
例えば、宿泊施設、ご家族で経営されている地方の旅館、民宿など、どのようにすれば、もっとお客様に来ていただけるのか、地域の特色を生かして連動できるのか?という悩みなど、まずは気軽にメールでご相談ください。
地域ごとの活性化を図り、地域の人の結びつきを強め、地域に根ざした人の交流を生み出していく。
そして、一度きりではなく、その運動が継続的であること。
それが私たちピースシーカーの基本的な役割であると考えております。
各取り組みに共通した内容として、継続したプロモーション、支援を継続し続けるという特徴があります。
主な趣旨としては、地産地消を促進し人との縁をつなぐことによる経済と地域の発展です。
■地域の温泉街、商店街、施設などの継続した誘客支援
■個人店舗の商業的活性化、集客、流通の基盤づくりにおける継続的な支援
■PTAや各NPO団体等の活動の人的交流、それぞれの運動の協力体制、横のつながりの確立
■農業の流通支援(有機農法、自然栽培など)一般的に流通しにくい作物の流通の支援
■アレルギーに苦しむ子供たちの為に、アレルギー源の少ない無農薬で安全な野菜の提供支援
■休耕田、放置された田畑を活用する為のご相談
例えば、農園、農場などに一般の方々にピクニックできる場所を提供して、農園の作物を利用したバーベキューを開催するなど、農園の認知度向上などのアピールを行いたい、という場合、そのPRの支援を行います。
地域の宿泊施設と連動した イベント、ツアーを組むことにより、その地域への人的流動を生み出し、活性化を図ります。
これらの活動も、雛形や決まった方法、形があるわけではなく、ひとつひとつの案件を活性化の依頼主と共に、その活動の始まりから一緒に考え、活性化の枠組みや方向性を作り上げていく。
そういった、活動へ親身に1から共に取り組むというパートナーシップを生み出すという点が、一番の特徴であると思います。
例えば、宿泊施設、ご家族で経営されている地方の旅館、民宿など、どのようにすれば、もっとお客様に来ていただけるのか、地域の特色を生かして連動できるのか?という悩みなど、まずは気軽にメールでご相談ください。
地域ごとの活性化を図り、地域の人の結びつきを強め、地域に根ざした人の交流を生み出していく。
そして、一度きりではなく、その運動が継続的であること。
それが私たちピースシーカーの基本的な役割であると考えております。
2011年11月11日金曜日
市民の共同体 ピースシーカーを設立
みなさま、はじめまして。
プロフィールにも書いてあるとおり、市民の市民の力による1つのまとまった共同の取り組みを市民から生み出し、体験を共有し、都道府県の枠を超えて、ひとつになれる運動を広めていきたいと思っています。
いま、日本は生産者と消費者が点と線で無数につながっています。
しかし、それは横と横のつながりが生まれ、人の注目と流れが集まれば、線が円となり、ひとつの輪を作り出すことができます。
そこに、地域の人的ネットワークが集まり、業種間、世代を超え、相互に助け合える1つのコミュニティが形成されるのです。
私は、その実現には何が必要かを考えました。
政府、国が主導でしょうか?
いいえ、それだけがすべてではないはずです。
私たち一般市民には、たいした力もないのでしょうか?
いいえ、もちろんそうではないはずです。
一人の人間の持つ可能性は、決して低くないはずだからです。
この国を支えているのは、私たち市民でありすべての国民なのです。
政治家の方々、官公庁の方々にしか出来ない取り組みもあります。
とても頑張っておられ、日本を良い国にしようと心血を注いでおられます。
しかし、私たちはただ、彼らの働きに頼っているだけで、本当に良いのでしょうか?
選挙に行き、投票をする。そのあとは任せっぱなしで、不平不満がつのり、政治に対して諦めと憤りしか感じない。それで本当に子供たちの未来は拓かれていくのでしょうか?
政治に不満を感じるのであれば、彼ら政治家たちの肩にかかった重荷を、私たちの下からの押し上げで助け、責任のなすりつけではなく、私たち全員の力で、日本という国にかかる重荷を軽くしようではありませんか。
私は、この迫りくるTPPの波に、とても大変な時期にあるこの日本が、市民の力を合わせることで救われるのではないかと、本気で思うのです。
震災にも負けない、放射能にも負けない、そんな強い魂と精神が私たち一人ひとりに宿っているからです。
いまこそ、市民一人ひとりが立ち上がる時です。
私たちは子供たちと共に、この日本の息を合わせ、いまこそひとつになる時なのです。
ピースシーカーを設立して3週間ほどしか経っていませんが、その間たくさんの人々に出会い、希望を共有し、その希望に目を輝かせてきました。
一昔前は、ひとつのボールで子供たちは一生懸命に遊びを考え出しました。
しかし、今は与えられるばかりで、子供たちから自分たちで遊びを考えるという自由を奪ってしまっています。
アサガオの代わりにトマトを育てる。
トマトを育てながら観察し、育てる難しさを知り、そして各家庭の晩御飯にそれが並ぶ。
ただそれだけのプロジェクトです。
観察日記は絵日記が良いでしょう。赤い色だけではない、いろんな色のトマトが、絵日記に描かれるのです。
その絵日記を並べると、まるで虹のように見えるかもしれません。
子供たちから無限の可能性を奪ってはいけない。
開けた未来に、解き放ってやるべきです。
私たちになにができるか・・・・?
私たちから、それを示そうではありませんか。
ピースシーカーに共感し、賛同して共に動いていただける方々、集まってください。
一番小さなことから、小さな運動から、私たちは始まるべきなのです。
どうか、その小さな希望の光を、集めさせてください。
よろしくお願いいたします。
プロフィールにも書いてあるとおり、市民の市民の力による1つのまとまった共同の取り組みを市民から生み出し、体験を共有し、都道府県の枠を超えて、ひとつになれる運動を広めていきたいと思っています。
いま、日本は生産者と消費者が点と線で無数につながっています。
しかし、それは横と横のつながりが生まれ、人の注目と流れが集まれば、線が円となり、ひとつの輪を作り出すことができます。
そこに、地域の人的ネットワークが集まり、業種間、世代を超え、相互に助け合える1つのコミュニティが形成されるのです。
私は、その実現には何が必要かを考えました。
政府、国が主導でしょうか?
いいえ、それだけがすべてではないはずです。
私たち一般市民には、たいした力もないのでしょうか?
いいえ、もちろんそうではないはずです。
一人の人間の持つ可能性は、決して低くないはずだからです。
この国を支えているのは、私たち市民でありすべての国民なのです。
政治家の方々、官公庁の方々にしか出来ない取り組みもあります。
とても頑張っておられ、日本を良い国にしようと心血を注いでおられます。
しかし、私たちはただ、彼らの働きに頼っているだけで、本当に良いのでしょうか?
選挙に行き、投票をする。そのあとは任せっぱなしで、不平不満がつのり、政治に対して諦めと憤りしか感じない。それで本当に子供たちの未来は拓かれていくのでしょうか?
政治に不満を感じるのであれば、彼ら政治家たちの肩にかかった重荷を、私たちの下からの押し上げで助け、責任のなすりつけではなく、私たち全員の力で、日本という国にかかる重荷を軽くしようではありませんか。
私は、この迫りくるTPPの波に、とても大変な時期にあるこの日本が、市民の力を合わせることで救われるのではないかと、本気で思うのです。
震災にも負けない、放射能にも負けない、そんな強い魂と精神が私たち一人ひとりに宿っているからです。
いまこそ、市民一人ひとりが立ち上がる時です。
私たちは子供たちと共に、この日本の息を合わせ、いまこそひとつになる時なのです。
ピースシーカーを設立して3週間ほどしか経っていませんが、その間たくさんの人々に出会い、希望を共有し、その希望に目を輝かせてきました。
一昔前は、ひとつのボールで子供たちは一生懸命に遊びを考え出しました。
しかし、今は与えられるばかりで、子供たちから自分たちで遊びを考えるという自由を奪ってしまっています。
アサガオの代わりにトマトを育てる。
トマトを育てながら観察し、育てる難しさを知り、そして各家庭の晩御飯にそれが並ぶ。
ただそれだけのプロジェクトです。
観察日記は絵日記が良いでしょう。赤い色だけではない、いろんな色のトマトが、絵日記に描かれるのです。
その絵日記を並べると、まるで虹のように見えるかもしれません。
子供たちから無限の可能性を奪ってはいけない。
開けた未来に、解き放ってやるべきです。
私たちになにができるか・・・・?
私たちから、それを示そうではありませんか。
ピースシーカーに共感し、賛同して共に動いていただける方々、集まってください。
一番小さなことから、小さな運動から、私たちは始まるべきなのです。
どうか、その小さな希望の光を、集めさせてください。
よろしくお願いいたします。
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